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見えないものを見る ~イメージング質量分析で見る食と脳~

平 修(たいら しゅう)
福島大学 農学群・食農学類 教授

1.はじめに

現代科学の世界は、「見る(見せる)」データの力が非常に大きいことが示されています。その方法は、新しい技術で見せるというよりは、古典的な分析方法の考え方を少し改変した物が多くあります。つまりは発想の転換です。本稿では、質量分析を「見る」ことに転換した「イメージング質量分析」の原理と、応用(特に農学)を紹介します。イメージング質量分析は、多くの化学情報を視覚的に提供するもので、近年、医学、薬学、工学、そして農学と幅広い分野で多くの発見に寄与しています。今回、イメージング質量分析に関する原稿を書かせていただくことを大変光栄に思います。著者は、2019年に新設した福島大学・農学群・食農学類の教員として現在務めています。
この「食農学類」も「見る」ことを研究の一つの柱としており、恐縮ではありますが、その紹介を対話形式でお届けしたいと思います。

司会担当 水田みずた 稲穂いなほ(おにぎり担当大臣)
話し手 はた 作造さくぞう(福島大学農学群教授)(登場人物はフィクションです。)

水田
おにぎり担当大臣の水田稲穂です。2019年4月より福島大学・農学群・食農学類が開設しました。
今回は、食農学類の畑作造教授と食農学類の特徴についてお話ししたいと思います。畑先生、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
水田
では早速、今回の食農学類開設、畑先生は、非常に画期的だと仰っていますが、中身がいまひとつ掴めない、という意見があります。ズバリ!どういう学類なのでしょうか?
お答えします。食農学類とは、私達が生きていくために必要な食糧の生産を科学的に証明し、福島発の新しい、「食」と「農」に関わる研究を発信していく。これが、食農学類です。
水田
でも、食農学類って農業の仕方を学ぶ大学だと思われていませんか?
いいえ、違います。食農学類とは、図1のように、農業と科学を融合して、すべての農学でおこる事象に科学的根拠を見いだします。そのために、育種、環境、食品、経営学と幅広い教員を集めました。
図1 食農学類のポスター

図1 食農学類のポスター

畑・水田
駆け抜けろ、実験室らぼ農場フィールド
そして、「見る」研究を学類の柱の一つとしました。そのために、東北では初、日本では4台目となる、質量分析装置(図2)も導入し、オミクス解析だけでなく、高速イメージングを可能としています。目指すは。突き抜けた研究、教育です。」
図2 最新イメージング質量分析装置(rapifleX)

図2 最新イメージング質量分析装置(rapifleX)

水田
でも、「見る」ことと「食べる」ことっていまいち結びつかないんですが。
例えば、私たち、日本人が主食としているお米の主成分はデンプンですよね。さらにお米には機能性成分も含まれています。でも、いくら科学的に成分表やグラフを示されても、そうなのかなぁと思うだけですよね。勿論、それに嘘はないですよ。
水田
はい。
では、イメージング質量分析でお米を見てみましょう。図を見て、どちらが健康に良さそうって思いますか?
図3 米穀のイメージング質量分析

図3 米穀のイメージング質量分析

水田
あ、これをみると、福島県産のお米が優秀だって感覚的に分かります。まさに、百聞は一見に如かずですね。
そうなんです。これは、有機農法で栽培した玄米(福島県産)と一般的な農法のそれを比較したものなんです。
水田
玄米の周りの部分に機能性成分が多いんですね。玄米が健康に良いとされるのがすぐに理解できます。
はい。どちらの米穀もアルギニン、ビタミンE、オリザノールといった機能性成分は糠層と胚芽部位に局在していますね。そして、有機農法の場合は、胚乳部位にも局在している。栽培方が異なることで機能性成分の局在に差が出ることは、食品の付加価値を上げることになります。
水田
今、見て思ったのですが、アルギニンは、肝機能改善、二日酔い軽減の効果が見込めるんですね。この米穀で日本酒(精米歩合が70%以下で「本醸造」、50%以下で「大吟醸」)を作った場合、内部にアルギニンが存在しているので、酔いにくいお酒になりませんか?
なるほど、それは面白い発想ですね。もうひとつ、二日酔いの朝に食せば早めに体調が戻ることも期待できますね。「朝食べる米」という新しい食の提案ができるかもしれません。
水田
なるほど、「見る」科学を使って、私たちの「食べる」ことが豊かになるなんて、とってもワクワクしますね。

水田
では、先生、結びに受験生の皆様に、力強いメッセージをお願いします。
受験生の皆さん、どうか、前期試験では食農学類、後期試験でも食農学類を志望いただきますよう、お願いいたします。
畑・水田
私たちは日本の未来を耕します!

2.イメージング質量分析の原理

さて、イメージング質量分析は、組織切片上を2次元的に走査し、一定間隔(5~200 μm)毎にMS測定を行います。得られた膨大なMSスペクトルは、組織上のあるXY座標の各ポイントにおける含有物質が何なのかを示しています。その膨大なデータから、イメージングしたいシグナル(標的物質)のみを抽出し2次元画像とするわけです。標的物質と同質量が検出された位置と、検出されない位置ではコントラストが異なるため、標的物質の局在解析が可能になります。特徴として、一度の測定で、一枚の切片から抗体や染色剤を必要とせず、複数の標的物質群の局在を解析できることが挙げられます(図4)。

図4 イメージング質量分析の原理

図4 イメージング質量分析の原理

視覚的データによる農産物への付加価値の付与
 あんぽ柿(干し柿)のイメージング質量分析
福島県はフルーツ王国(1年中果樹が取れる)です。あんぽ柿(干柿)も名産の一つですが、震災以降いわれのない風評被害で売り上げが下降気味です。美味しさに加えて、機能性を科学的に付加させることで消費の拡大が見込めないか研究をしてみました。
図5にあんぽ柿のビタミンAとビタミンB6のイメージング質量分析像を示します。生柿と比べて、ビタミンAは果皮側で増大しています。これは、加工の過程で柿のβカロテン(ビタミンAの2量体)がビタミンAに変換されたことを示しています。ビタミンAは最近ではしわ取りクリームなど化粧品にも配合されています。あんぽ柿の特徴として内部が瑞々しいことが挙げられます。ビタミンB6 は水溶性ですから加工の過程で内部へ移動(外側の水分が減る)し増加したというよりは内部に多く局在していると考えます。ビタミンB6はお酒の悪酔い防止に効くとされ処方箋薬(ピリドキサール)として扱われています。美容と健康に良いとされる成分があんぽ柿一つで摂取可能と言える可能性があります。

図5 あんぽ柿のイメージング質量分析

図5 あんぽ柿のイメージング質量分析

3.体内動態可視化 〜テアニン摂取による脳内カテコールアミンのイメージング質量分析〜

テアニンはお茶に含まれるお茶特有アミノ酸様の物質で、旨味成分の一つです。摂取後、副交感神経が亢進、交感神経が抑制されること、血液脳関門を通り脳内へ送達されること、その後、脳内のドパミンやGABAの抑制系物質が増えることが分かっています。これらは抗ストレス、リラックス効果が期待できます。

図6 脳に効くアミノ酸 テアニン

図6 脳に効くアミノ酸 テアニン

測定上の工夫として、誘導体化試薬(Py-I; Isotec社)を用いることでイオン種をそろえて一度の測定で複数ターゲット物質の検出・イメージングしました。

図7 Py-I試薬による標的分子の誘導体化

図7 Py-I試薬による標的分子の誘導体化

非投与(コントロール)、テアニン経口投与(2 mg/g)後30、60、90分後に脳を採取しました。プレリミナリーな結果ではありますが図8にそれぞれのイメージング質量分析像を示しました。
・テアニン:コントロールではイメージされていません。投与後30分から側脳室付近で局在が見られ、60分で最大、90分で減少傾向が見られます。
・GABA:コントロールでは嗅球、大脳皮質に存在しています。テアニン摂取後30分から徐々に嗅球、大脳皮質の他、線条体(側坐核)、視床部位で増加していることが可視化されています。
・L-DOPA: 脳幹に局在しており、コントロールに比べて投与群はイメージ強度が低く、時間経過と共に減少傾向が見られます。
・ドパミン:線条体に局在することが知られています。テアニン投与群では経時変化と共に同様の場所で増加しています。投与後60分後ではドパミン産生部位である黒質でもその存在をイメージされており、ドパミン産生が活発であることが予想できます。また、L-DOPAはドパミンの前駆体でありますので、L-DOPAが減少し、ドパミンが増加するのもテアニン投与によるドパミン産生の活性化を示していると思われます。
・ノルアドレナリン:コントロールでは側坐核、青斑核に局在しているのに対して、テアニン投与マウスでは経時変化と共に減少していました。
 これらをまとめますと、これまで言われてきたテアニン投与による、GABA、ドパミンといった快楽系物質の増加、ノルアドレナリン(興奮系)の減少を視覚的にとらえることを、イメージング質量分析を用いることで可能となりました。

図8 テアニン摂取後のマウス脳のイメージング質量分析像

図8 テアニン摂取後のマウス脳のイメージング質量分析像

4.イメージング質量分析の今後

筆者としては、イメージング質量分析の農学、食品分野への寄与が一層強まればと思います。食品などは、実際に我々が口にする物ですから、その品質や安全性を示すことは必要です。イメージング質量分析では食品(農産物、畜産物、海産物)の一部を切片とし測定するだけでよいので、群ではなく個体の検査が可能です。また、栄養成分、機能性成分が豊富に含まれている部分は何処なのか、食品の付加価値となる根拠を視覚的に表すことは生産者にとって消費者へ伝えやすいものになります。穀物の品種同定、品質保証が迅速に、簡易に、分かりやすく一般消費者にまで伝わる分析手法として定着して欲しいと願います。また、希少価値の高い食品などは偽物が市場に出回ることもあり、本法を視覚的な品質保証データとして添えることも一計ではないでしょうか。残留農薬検査、新規加工・修治(栄養、機能性成分リッチな部分のみを残し、他の部分を切りとること)部分の決定法など加工学分野においても本手法が注目されています。
食べたものが体の中でどう動いて機能しているのかについてもイメージング質量分析は応用可能です。テアニンのように一般的なお茶の成分が抗ストレス、リラックス効果を与えることが目で見てわかることは基礎科学として重要なだけでなく、一般消費者様へ届くデータの意味合いが強くなると思います。
但し、可視化するということはインパクトが強い反面、標的物質が多量に存在するかのような誤解を招く事もあります。イメージング質量分析で作成された画像は相対強度であり、定量性は今後の課題であります。同じ物質の局在を比較することは問題ありませんが、他の物質とその存在比を単純には比較できません。クロマトグラフィや他の実験結果と総合的に判断することは行住坐臥必要です。

5. 終わりに

本稿では、食農学類の紹介とイメージング質量分析の応用先を紹介させていただきました。見えないものを見るという試みは今後も様々な技術で発展していくと考えられます。また、本イメージング技術は、論文には記述のない細かいノウハウがあります。福島大学では、本技術による問題解決を支援する外部利用制度を2019年4月から設けております(詳細は本学類HPをご覧ください https://www.fukushima-u.ac.jp/company/company/post-106.html )。
新規の学部を創設する際は経験豊かな教員の採用が多く見られます。しかし、福島大学は食農学類の設置にあたり若手中心のメンバーを本当の公募により選抜しました(平均年齢:40代)。それも全ては科学から始まると考える研究を主軸とした本物の科学者をです。見る角度で物事は違ってきますが、福島大学農学群食農学類が今後どのように発展していくか否か、それぞれの視点より見守っていただけると幸いです。
イメージング質量分析法が、今後も医学、農学、工学あらゆる分野で社会還元に寄与することを期待し、食農学類が見える形で発展していくことを祈念しつつ擱筆させていただきます。

(2021年12月)

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